社会貢献事業 - ヘリテッジニュートラル -

社会貢献事業
ヘリテッジイメージ

近年、排出したCO2と自然の力で吸収するCO2の量を同じにしようという「カーボンニュートラル」への取組みが世界の企業間で始まりました。そのような流れのなか、私たち仏壇業界もまた、内省と転換の時期に差しかかろうとしています。
東南アジアの黒檀や紫檀といった天然の木々、白檀・伽羅等に代表される香材などの貴重な地球資源。お客様に良い品をお届けするためとは言え、私たちが地球の遺産を採り続けてきたことは事実です。
そこでカノンでは「ヘリテッジ(遺産)ニュートラル」という考えのもと、私たちが使用した遺産を少しでも地球に戻す為、自然・遺跡・伝統文化・子供たちといった地球の遺産・財産を守る活動への支援をはじめました。

1000ドル支援 〜マレーシア・ボルネオ島〜

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マレーシアのボルネオ島は、1960年代から木材調達を目的とした大規模な森林伐採が始まったほか、泥炭の採掘、パーム油生産のためのアブラヤシプランテーション開発が急激に進み、熱帯雨林が急速に減少しました。その為に野生動物は住む場所を奪われ、絶滅危惧種に指定される動物も少なくありません。
仏壇や仏具の材料となる黒檀等の高級資材の大半はこの熱帯雨林から切り出されたものです。私たちもまた自分たちの営利の為にこのボルネオの森林伐採に加担してきたと言っても過言ではないでしょう。
そこで、本年度のカノン・ヘリテッジニュートラル事業は、そのボルネオで自然環境と野生動物の保全運動を行う「特定非営利活動法人 ボルネオ保全トラスト・ジャパン」が行う「緑の回廊プロジェクト」に対し支援を行う事となりました。

「緑の回廊プロジェクト」とは、緑の回廊は分断された森をつなぐことで野生動物が広い地域を自由に移動できるようにする生物多様性を確保するための取り組みです。必要な面積はおよそ2万ヘクタール(1ヘクタール = 100m x 100m)です。対象地の購入、対象地管理の委託、違法開拓地の政府への返還、土地の寄付といった方法による土地の確保を計画し、進めてられています。

全国に広がるカノン会員のお店を通じて多くの方にこの活動を知ってもらい、少しでも支援の輪が広がる事を願います。

ご興味のある方は下記まで

ボルネオ保全トラスト・ジャパン

http://www.bctj.jp 〒140-0002
東京都品川区東品川1-25-8 2F
Tel: 03-3471-4966

1000ドル支援 〜インド・マザーハウス〜

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1910年、マケドニア〈旧ユーゴスラビア〉。とある熱心なカトリック教徒の両親のもとに生まれたゴンジャ・ボワジュは、18才になると修道女を目指しアイルランドに渡りました。その後、1928年12月に修道本部があるダブリンから宣教地であるインドのベンガルに向けて船で出発しました。
彼女は1929年1月6日にインドのカルカッタ(コルカタ)に到着し、ロレート修道会に入会。学校で教師の仕事の訓練を受け、同時に病院の手伝いも始めます。彼女の修道名はテレサ。そう、皆さんよくご存知の「マザーテレサ」です。
1948年、ロレート修道会を出た彼女はカルカッタのスラム街を回り、孤児や貧しい人たち支援する活動を始めました。そして1951年にインド国籍を取得し、孤児院やハンセン病施設を次々に開設していきます。
我々が訪れたのは、そんな彼女が残した施設の一つ、「マザーハウス」。マザーテレサは87才で死去するまで多くの功績をあげ、世界中の人から愛されました。そして彼女の意思は今も各地のマザーハウスで受け継がれています。

今回訪問したのはタージマハルで有名な「アグラ」という街にあるマザーハウスです。シスターの出迎えで施設を案内していただきましたが、障害者の棟、孤児たちの棟などがあり、そこでは多くの子供たちが共同生活をしていました。施設の運営は7人のシスターがされているそうですが、世界中からボランティアの方々も来られるそうで、日本からも定期的に来られているグループもあるとおっしゃっていました。
私たちは短い滞在でしたが、子供たちの笑顔を見て、マザーテレサの愛に会えたような気がしました。


左の写真は世界一美しいお墓と言われるタージマハル。大理石に宝石を埋めた壮大なイスラム建築に思わず息を飲みました。

1000ドル支援 〜ベトナム・ホイアン〜

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大航海時代、ベトナム中部の港町「ホイアン」は多くの外国船が出入りする貿易港として繁栄していました。日本もまた例外ではなく、ベトナムと日本の外交関係は、豊臣秀吉が導入した「朱印船貿易」が始まりだと言われています。
江戸時代に入ると徳川家康は外交政策に力を入れ、日本から多くの商人達がベトナムへと渡っていきました。そのような貿易拡大と共にホイアンにおいて日本人街が形成されていきます。
1999年に世界遺産として登録されたホイアンは、150年以上前の木造家屋が並ぶ往時の面影を今もそのまま留めた貴重な歴史都市です。

お線香やお香に使う香材料が、平安時代〜江戸時代にベトナムから日本にたくさん入ってきています。ベトナムとラオスとの国境周辺の山岳地帯から産出される、沈香(ジンコウ)、麝香(ジャコウ)、白檀(ビャクダン)、肉桂(ニッケイ)などの香りは他国よりも優れた品質のものが多く、ホイアンの港では毎日これらの香材料が朱印船に積まれたくさん日本に運ばれました。その点において、ホイアンは私たち仏具商とは非常に縁の深いところです。
またホイアンでは毎月ランタンを灯して街を照らすランタン祭りが行われます。これは日本における、お盆に先祖の霊を迎える提灯や精霊流しにとてもよく似ています。

ホイアンには、地元の人たちに大切に守られている「日本橋」と呼ばれる橋があります。正式な名称を「来遠橋」といい、この橋の向こうに日本人街があったことからそう呼ばれるようになったようです。橋は一説によると日本人が建設したとも言われています。
今年度のカノンヘリテッジニュートラル事業は、日本とベトナムの架け橋となってきたこの「日本橋」の保存への支援となりました。 歴史的遺産価値だけでなく日越友好の象徴としていつまでもの大切に保存されることを祈念し、橋の中央にあるお堂で「ホイアン街なみ保存局」の局長様にわずかですがカノンより寄付をお渡ししました。

1000ドル支援 〜ブータン チミ・ラカン〜

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「世界一幸せな国」として近年脚光を浴びているブータン王国は、ヒマラヤ山脈の東端にある仏教王国です。
近隣の仏教文化圏がグローバリゼーションの中でその文化的特徴を失いつつあるのに比べ、ブータンには今もなお中世の雰囲気を感じさせるオリジナルの仏教文化が色濃く残っています。
またブータンは世界で唯一、仏教を国教と定めている国でもあります。今回のカノンヘリテッジニュートラル事業は、文化や人に触れ合うことで、まずブータンの本質を探ることから始めました。

現地で街や人々を観察していると、虫がとまっても追い払うだけ、魚釣りをする人はまったく見かけない、街中にいるたくさんの野良犬も駆除しないなど、チベット仏教の輪廻転生思想が街中に感じられました。そう言えば、かのダライ・ラマは「決して殺生をしてはいけません。その殺そうとしている虫や生き物の前世はあなたの大切な人だったかもしれません」とお話をされていましたが、ブータンの人々は誰もがその思想を自然に受け入れ、それを当たり前のものとして生活しているようです。

のんびり暮らすブータンの人たちに、物欲や出世欲みたいなものがないのかと尋ねると「一番大事なものは自分自身や家族です。大切なものが既に近くにあるので、それ以上のものは必要ありません」というような、我々日本人には信じられないような答えが返ってきます。実は、仏教には「幸せ」の本質が隠されているのではないかとあらためて考えさせられました。

さて、ブータンでの支援先を探しているとチミ・ラカンというお寺の情報が入りました。なんでも、強風で屋根が飛ばされ困っているとのことです。チミ・ラカンはプナカのロベサ村のはずれにあり、子宝の寺として有名です。ここにはブータンの若い夫婦はもちろん、世界中からご利益を求めて子供のいないカップルが訪れます。
寺院では子宝祈願の他、祈祷や占いもしてもらえます。私達も、ここに来れない日本の若いカップルの幸せを祈りつつ、少しの支援をしてまいりました。

1000ドル支援 〜サルナート法輪精舎〜

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サルナート法輪精舎は曹洞宗僧侶、後藤恵照氏がインドサルナートの地を訪れ、1979年貧しい地元の子供達のために無料の日曜学校を開いたことから始まります。
仏教の平等と慈悲の心を教えることを基本理念にし、自らの私財も投げ打ち、また日本からの支援を募り1993年には無料中学を設立。その後、高校と大学をも設立し、現在では900名近い学生を持ちます。

2010年にテレビ東京の番組「世界を変える日本人」で紹介されたのをきっかけに、日本でひろくその偉業を知られることになりましたが、本年のカノンヘリテッジニュートラルはこの「法輪精舎」の運営への支援に1000ドルを届けました。

現地に着くと、まず後藤住職がお出迎え下さいました。後藤住職はご冗談などもおっしゃられる、とても気さくなご住職でした。現在79歳、後継者(本校の卒業生)も育ってきたのでそろそろ引退も考えられているそうですが、まだまだお元気でかくしゃくとされていました。
本堂でのおまいり後、学校に案内して頂いてのですが、そこでは生徒さん達に拍手で迎えられ、盛大に歓迎式をしていただきました。僅かな寄付で恐縮しましたが、それでも1ヶ月の学校運営費の1/3が補えるそうです。
「お金は一度出せば終わりですが、それを教育に変えると、身につけば死ぬまでモノになる」。貧しい地での教育の大切さを教えていただきました。

ご支援いただけるかたはこちらまで。
サルナート法輪精舎

1000ドル支援 〜ピンナワラ 象の孤児院〜

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動物を大切にする文化を持つスリランカ。特にスリランカのあちこちで目にする象は、古くから神聖な動物として大切にされ、人間と共存関係を築いています。
そんなスリランカには「象の孤児院」という施設があります。これは象牙目的で密漁されたり、水田にはまったり、または病気などの様々な理由で親を亡くした子象たちを保護し、収容する施設です。
ケーガッラ郊外のピンナワラにあるこの「象の孤児院」もそんな施設の一つ。1975年にスリランカ政府の管轄によって始まりました。

この施設では現在、約80頭の子象たちが生活しています。子象とは言え、彼らが一日に消費する餌の量は膨大です。施設はそのコストを入場料などでまかなっていますが、なかなか余裕は生まれません。
そこで今回の1000ドル支援は、子象たちの餌代として使って頂くことになりました。

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「象の孤児院」の一日は、朝の森の散歩から始まります。そして夕方に寝床に帰るまでの間に、川で行水を2回します。
その際には近くに寄って、水を浴びて楽しそうな子象たちの姿を見ることができます。

左の写真は、1歳の子象Kanokaちゃん。今回の支援金はこの子の餌代に充てられることになりました。
(下はその証明書です)
孤児院の象たちが、少しでも幸せな日々を過ごせるようお祈りします。

1000ドル支援 〜ラオス子供文化センター〜

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ラオスでは、旧インドシナ植民地時代に行われたラオス語軽視の政策の他、ベトナム戦争や内戦の影響、および地理的な環境により、子どもが教育を受ける機会が充分に無い現状にあります。
さらに現在では貧富の差がいっそう広がり、子どもたちの問題も多層化しています。都市部でテレビゲームに夢中になる裕福な子もいれば、一冊の本を手にすることが難しい地方の村の子や、さらには物乞いで生計を立てる子も存在します。
このラオス子供文化センター(C.C.C)は、教育の資源が不足しているラオスで、子どもたちが教育を受ける権利を充分に得られるように、そして同時にラオスの伝統文化を伝えられるようにと、日本人の支援で誕生した施設です。

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私たちが今回訪問したルアンブラバン地区のC.C.Cにも現在約400名の子供が登録し、伝統文化を学んだり図書館で勉強したりしています。
今回通訳をお願いしたイエンさん(19才)は、電気も水道も無いモン族の村の生まれです。幼少の頃はお母さんのつくった手刺繍をナイトマーケットで売って生計を立てていたそうですが、彼女もまた、ここの図書館に通い、本を読んで日本語を勉強したそうです。
校長先生にお話を伺ったところ、今一番の問題は教師の数が少ないということで、 私たちの支援金は先生を雇うことに使いたいとおっしゃっていました。
私たちの支援が、少しでもラオスの子供たちの助けとなるよう願っています。

1000ドル支援 〜ベトナム・ストリートチルドレン〜

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東南アジアの亜熱帯の国々では、お香やお線香の原料となる「香木」が採れます。
その香木の中でも最高級と呼ばれる「伽羅(きゃら)」は、ベトナムの限られた地域でしか産出せず、しかも極めて少量。『その香り高貴なこと宮人の如し』とも表現され、常温でも清やかな香りを発し、焚くと他に例えようの無い濃厚で独特の香りを漂わせます。
そんな伽羅ですが、これまでの日本人による大量輸入、大量消費によって、現在ではベトナムではほとんど採取出来なくなってしまいました。
そういった背景のもと、今回のヘリテッジニュートラル事業はベトナムに目を向けました。

現在、ベトナムではドイモイ政策以降の経済改革によって経済が急速に改善しました。その結果、50%以上とも言われていた国内貧困層割合も大きく減少しています。
しかしながら現在もなお、貧困や障害に苦しむ子供や教育支援を必要とする子供が大勢います。
カノンでは在ベトナム大阪領事館を通じ、そのような子供たちを支援する国家基金( The National Fund For Vietnamese Children )にカノン支援金をおくりました。

1000ドル支援 〜アンコールワット遺跡保存〜

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1994年からアンコール遺跡で保存作業を続ける日本国政府アンコール遺跡救済チーム(JSA)。
カノンはJSAの活動に賛同し、2007年に支援金を贈りました。
私たちが訪問した際、保存作業の現場では巨大な遺跡群から小さなかけらを取り出し、記録し、補修し、そしてまた組み直すといった究極のジグソーパズルのような作業が行われていました。
現在、日本人のスタッフが現地カンボジア人に技術を教え、自分たちの手で遺跡を守っていけるよう指導を続けています。

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